育児現場で見た男性差別
とある自営業の家庭では父親がお弁当を作って子供に持たせていました。そのことに対し「特別な日はお母さんに作ってもらわないとかわいそう。やっぱり子供はお母さんのお弁当がいいんじゃない?」と言った女性がいました。
ちなみにその父親は本業が料理人であり、妻よりも料理が上手なので味や完成度の問題ではありません。その女性は愛情の量で父親を差別したのです。
古いタイプの日本人女性だとこういうことを言う人は一定数いると思います。自分達自身が「女性の役割は家事と子育て」と決めつけているので「子供に真の愛情を注げるのは女性だけ」と差別しているのです。「仕事をうまくやれるのは男だけ、女はどうせ失敗する」と言っている男性と何も変わりません。
よっぽど無責任な親を除いて子供に愛情を注ぐのに男女で能力に違いなどありません。今回の発言は「男性は愛する能力が劣る」と差別しています。これは単なる能力の差別ではなく人間の本質に対する差別です。本人にそのつもりはなくても「お前ら男は人間じゃない」と言っているのと同じです。どんなに取り繕おうとも自分が本当に思っていることは生きている限り全て何かしらの形で現れます。
性別で自分を枠に当てはめてそこから出れなくしているのは差別者達自身です。こういう連中が「男だから」「女だから」と差別されたところでそいつら自身の責任です。好きでその枠の中にいるのですから。
まともに自己を確立した「大人」になりきれていないからいつまでも性別という枠に収まってアイデンティティを守ろうとするのでしょう。時代遅れです。海外ではとっくに「人間を古い価値観に基づいてグループ分けして伝統的役割をこなす」から「個人が最大限できることを伸ばして創造的な社会を作る」にシフトしている最中です。日本は物資は豊かでも精神文化的にはものすごく時代遅れの未熟な辺境地域です。
一番恐ろしいのは多くの日本人自身がそこに気づいてない点です。つまり今後成長する見込みが無いんです。
ちなみにこういうタイトルで記事を書くとすーぐ「だから男は家事をやらないんだ」とサボる理由にしたがるクズが湧くようなので言っておきます、やってすらいない連中のために書いたんじゃねーよ。やってる男達のために書いたんだ。