幸と不幸の9割は自己責任
他人に責任を見出している人は常に不平不満ばかりで自分は不幸だと感じます。
自分に責任を見出した瞬間から解決策を考え行動に移し環境や周囲の人々に自然と感謝が生まれ幸福だと感じるようになります。
「他人の不幸で飯がうまい」「他人の幸福を素直に祝福できない」こんな連中が幸せになれないことは誰が考えても明白です。日本人の幸福度が先進国平均より低いのだとしたら、
・考えない、主張しない、行動しない
・他人の失敗に寛容になれない
が一因として挙げられると思います。そもそも幸福度なんて調査方法によって順位が激しく上下するほど曖昧なものです。
これだけ物に恵まれた国で不幸を感じるなら9割はただの「自分はこんなにも可哀想」悲劇のヒロインごっこ症候群です。感傷に浸ってないでさっさと行動しろ。
ただしネットを見る限り何故か男性ヒロインが目につきます。韓国と日本は特に男女で幸福度のギャップが大きいようですが、他の人種と比べて男女の体格差が少ない=もともと男性性というアイデンティティの保持が難しいのにも関わらず女性の社会進出が進んだ今でも精神論だけで男性優位を保とうとするので根本的に社会から必要されない、つまり他者への貢献が時代と共に難しくなっているグループなのだと思います。
本人達は「男らしさを過剰に求められるから日本の男性は幸福度が低い」と主張してますが、海外で生活したり外国人と交際したことのある女性なら大抵「海外の男達の方が見た目も中身も男らしいのに日本のどこに男らしさが求めらているのか」と疑問を抱くと思います。むしろ私は日本から出るまで男らしさが何なのかすら理解していなかったと痛感しました。大体日本人男性は海外からフェミニンだの女々しいだの言われまくってるじゃないですか。過剰に女らしい男性の幸福度が低いのでは…
そもそも日本には明確な「男らしさ」の概念が存在しないとwikipediaにも載ってます。歴史的に戦争が多い地域だと男性の競争が激しく求められる役割も多くなりますが、日本は比較的平和だったためでしょう。
男性は逞しく大きいというだけで男性らしい自分に自信を持ちます。実際私の経験でも体が大きい男性の方が心に余裕があるという印象です。アメリカのデートマッチングサイトの分析では女性が男性を選ぶ時、182cmで年収575万円の男性と比べると170cmの男性にはプラス161万円の年収が求められるという結果が出ました。つまり体格が男らしいと性的魅力を経済力で埋め合わせしなくて済むんです。見た目だけで「頼れて安心できる人」になってしまいますからね。重い物を積極的に運ぶレディファーストも結局は身体能力による男性性の強調です。
結局日本の場合は男性が以前ほど女性に尊敬されなくなったから文句垂れてるんでしょう。知識や経済力が男性だけの特権でなくなった今、頭を使って効率よく仕事をこなすならまだしも「長時間働けば金を稼げる」という単純思考を押し付け「俺は働いて稼いでるんだ」と見栄張ったところで時代遅れで物欲まみれの怠惰な女性でもない限り寄ってきません。若年世代は物欲乏しいですしね。女同士で同棲している人達の方がお互い金も稼ぐし家事分担できてうまく暮らしてます。また、見た目じゃなく中身で判断するにも日本の場合義務教育で習った「みんなと同じ回答しか出せない」人間が多いので個性も何も大差が無いのです。表面的な魅力の価値が下がったにも関わらず内面の魅力が伸びないままになってませんか?
女性が男性並に仕事をできるようになっても男性が今まで通りの価値観で社会に必要とされるわけがありません。家庭に金を入れるだけなら今時自動収益化でAIにだってできるんです。誰にも必要とされない人間は当然自分を不幸だと思い込みます。実際は自分自身に必要とされていないんですけどね。何も考えないし行動しない人間は自分からも蔑まれ見放されます。いわゆるネガティブな人というやつです。
さて、ここまでボロクソに書いてしまいましたが私は自分の周囲にいる日本人男性達に関してはこんな風に捉えていません、ここで取り上げているのは最近某掲示板系サイトのみならずyoutubeのコメント欄にまで生息域を拡大してきた女の腐ったような連中の話です。確かに世の中には理想の高すぎる女もいるんですが、そこら中のコメ欄にショウジョウバエ並の速度で繁殖する程ではないんですね。大抵身の程知らずな女性はどっかでやってるアンケート結果の中にしかいません。
だいたい毎日ご飯を食べれて寝る場所があって今ここでネットしている時点でかなり幸福な部類に入るでしょう。仏教僧が断食・不眠の修行をするのも最低限の生活が送れる自身が恵まれていることに気づき感謝するためですよね。
会社が不満なら自分で起業して企画・生産から営業・販売まで自分でやればいいのです。できないから会社にいるんでしょう。パートナーに不満があるならそれでも一緒にいる理由は何でしょうか、どこかで依存してませんか?商品やサービスにクレームばかりつけている人は金払ってまで不快なサービスを提供してもらうくらいならその金で自分でサービスや商品を作れば良いのです。
「傷ついた」「傷つけられた」でドラマごっこを繰り広げている面白い人達を見かけます。「傷つく」はどれくらい他人の言う事を真に受けたか、つまり信念の弱さがそのまま傷の深さにつながります。
つまり不幸の9割も単なる思い込みってことですね。
最初は「大人になったら」自己責任というタイトルにしようかと思いましたが、周りをよく見ていると大人より責任感の強い子供もいればいつまでも子供な大人はいくらでもいます。実年齢や能力でなく精神的な成長段階で大人より賢い子供は案外その辺に普通にいるようです。大人は子供を付属物でなく敬意を持って接するべきですし、子供でも自分の信念は大人に何か言われても貫くべきです。賢い子の親でも結構アホだったりしますしアホな子の親はやはりアホです。大人の責任を子供に押し付ける大人も日本には大勢いらっしゃるので注意してください。大人は結構アホです。良い子のみんなは真似しないでね。
〈児童虐待を受けた人達の問題〉
事故や天災、貧困や幼少期の劣悪な生活環境など自己責任では背負いきれない課題も存在します。むしろこういう人達を積極的に助けて救うことにその社会の健全さが表れてきます。もし毎日飯を食って寝る場所があってネットしているのに自分は不幸だと嘆いている連中がいらっしゃればあなたより不幸な人達はたくさんいるので他者貢献のひとつでもやってみましょう。社会の中で自分の居場所は他人に与えてもらうのではなく自分で創り出すものです。
虐待を受けた経験のある人は思う存分気の済むまで親への憎悪を吐き出せばいいと思います、しかしある日吐き出しただけでは何も変化しないことに気づくはずです。結局今自分は生きており飯も食えて寝る場所があってネットしてるんです。仕事を持って自立できているなら更に立派、もう自分一人で何でもできます。ただ今まで親に無駄遣いしていた自分のエネルギーを自分のために使えるよう計画し直せばいいだけです。