多少耳を引きちぎる話

ネットで拾った一言いいたいネタを吐き出すブログ

感謝は要求するものでなく自分からするもの

世の中には大人になってもそれはそれは「認めてもらいたい人」「感謝されたがる人」が多いですね。日本は自立的発想より常識という名の偏見を共有したがる傾向が強いため特に目立ちます。

しかしですね、世の中をよく見渡してください。「認められたい人」と「認めてくれる人」の需要と供給バランス、全然合ってませんよ。待っていても無駄です。

 

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感謝されたがる心理

 

感謝されたい=見返りを要求しているということです。

自分にとっては感謝される事をしたつもりでも、受け取り方は相手によって違います。この前提となる事実を無視して「感謝される」ことを期待するのは、ただの偽善的な自己中です。

感謝への期待は「何が感謝に値するのか」という価値観において自他を混同していますし、相手は一方的な自分の期待を叶えてくれるはずだという甘え、精神的依存の上に成り立ちます。よく日本人は以心伝心などと言いますが、きちんと言わなければ誤解の元です。「わかってくれるだろう」という思い込み、わかってくれなかったら「相手が悪い」「馬鹿だからわからないんだ」などという情けない主張もたまに見かけますね…。

相手に感謝を押し付けるくらいなら最初から相手にやらせて自立させ、自分はストレスの無い選択をすればいいでしょう。

 

以下はひとつの例に過ぎませんが・・・。

「貧しい国のために」NGO団体や国の利害関係をよく知りもせず、たったの1円でワクチンを与え命を救った気にさえなれれば、そのお金が実際は難民キャンプに入るための通行料として支払われ武器を買うお金に代わっていたとしてもいいのです、たった1円で世界を変えた気になり自己満足に浸るのが目的ですから。

 

 

感謝する心理

 

自己啓発などでよく「まずは感謝することから」と書かれていますね。けれども不幸が重なった時、ましてや自己啓発を必要とするのは大抵人生に行き詰った時ですから、そんな時に感謝の念など頑張っても湧いてこないかもしれません。

 

しかし感謝の念とは自分自身に責任を持ち、できることはできるだけ全て自分でやるようにすれば自然と湧くものです。全ての責任が自分にある事が前提であるからこそ、他者の些細な気遣いや手助けに気づいて感謝できるようになるのです。

よく耳にする「親になって初めて親の偉大さがわかった」、がいい例です。自分でやって初めて他人の苦労がわかります。苦労を知っているから感謝できるのです。

 

 

他人のせいにしていないで、自分が自分のためにできることは最大限自分でやりましょう。

感謝されるのを待つ人ではなく、きちんと感謝できる人になりましょう。